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次に教の四重とは、一には但顕隔理の教。権・小なり。二には教即実理の教。迹門なり。三には自性会中の教。応仏の本門なり。四には一心法界の教。寿量品の文の底の法門、自受用報身如来の真実の本門、久遠一念の南無妙法蓮華経なり。「脱は現に在りといえども、つぶさに本種を騰ぐ」の勝劣これなり。
第四に八重浅深の一面。
名の八重とは、一に名体永別の名。二に名体不離の名。三に従体流出の名。四に名体具足の名。五に本分常住の名。六に果海妙性の名。七に無相不思議の名。八に自性己々の名。乃至教知るべし云々。文に任せて思惟すべきなり。
第五に還住当文の一面。
四・八の浅深をもって本迹勝劣を知るべし。
第六に但入己心の一面。
始め「大法東漸」より第十の判教に至るまで、文の生起を閣いて一向に心理の勝劣に入れて正意を成ずべし。謂わく、大法とは、即ち行者の己心の異名なり云々。釈の意は、文義の広博を離れて首題の理を専らにすと釈し給うなり。
第七に出離生死の一面。
心は、一代応仏の寿量品を迹となし、内証の寿量品を本となし、釈尊の久遠名字即の身と位とに約して南無妙法蓮華経と唱え奉る、これを出離生死の一面と名づく。「本迹は身に約し位に約す」の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(458)本因妙抄 |