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甚深、秘すべし秘すべし。
二に仏意・機情の二意の一面。
仏意は観行・相似を本となし、機情は理即・名字を本となす。いずれも体用を離れず。体用は法華の心智に依って一代五時の次第・浅深を開拓す。次に機情とは、大通結縁の衆のために四味の調養を設けて法華に来入す。本迹二門乃至文々句々、この二意をもって分別すべきものなり。
三に四重浅深の一面。
名の四重有り。一には名体無常の義。爾前の諸経・諸宗なり。二には体実名仮。迹門は始覚にして無常なり。三には名体俱実。本門は本覚にして常住なり。四には名体不思議。これ観心直達の南無妙法蓮華経なり。湛然云わく「脱は現に在りといえども、つぶさに本種を騰ぐ」云々。
次に体の四重とは、一に三諦隔歴の体。爾前権教なり。二に理性円融の体。迹門十四品なり。三に三千本有の体。本門十四品なり。四に自性不思議の体。我が内証の寿量品、事行の一念三千なり。
次に宗の四重とは、一に因果異性の宗。方便権教なり。二に因果同性の宗。これ迹門なり。三に因果並常の宗。即ち本門なり。四に因果一念の宗。文に云わく「介爾も心有らば、即ち三千を具す」。これ即ち末法純円の結要付嘱の妙法なり云々。
次に用の四重とは、一に神通幻化の用。今経已前に明かすところの仏菩薩、出仮利生のことなり。二に普現色身の用。即ち一身の中において十界を具することなり。本迹一代五時に亘る。三に無作常住の用。証道八相有り。無作自在のことなり。四に一心の化用。「あるいは己身を説く」等なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(458)本因妙抄 |