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次に、随身所持の俗難は、ただこれ継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か。執する者、なお強いて帰依を致さんと欲せば、すべからく四菩薩を加うべし。あえて一仏を用いることなかれ云々。
また五人一同に云わく、富士の立義の為体、ただに法門の異類に擬するのみにあらず、あまつさえ神無の別途を構う。既にもって道を失う。誰人かこれを信ぜんや。
日興云わく、我が朝はこれ神明和光の塵、仏陀利生の境なり。しかりといえども、今、末法に入って二百余年、御帰依の法は爾前・迹門なり。誹謗の国を棄捨するの条は経論の明文にして先師の勘うるところなり。何ぞ、善神・聖人の誓願に背き、新たに悪鬼乱入の社壇に詣でんや。ただし、本門流宣の代、垂迹還住の時は、もっとも上下を撰んで鎮守を定むべし云々。
また五人一同に云わく、如法・一日の両経は、共にもって法華の真文なり。書写・読誦においても相違有るべからず云々。
日興云わく、如法・一日の両経は、法華の真文たりといえども、正像転時の往古、平等摂受の修行なり。今、末法の代を迎えて折伏の相を論ずれば、一部読誦を専らとせず、ただ五字の題目のみを唱え、三類の強敵を受くといえども、諸師の邪義を責むべきものか。これ則ち勧持・不軽の明文、上行弘通の現証なり。何ぞ、必ずしも折伏の時、摂受の行を修すべけんや。ただし、四悉の廃立、二門の取捨、よろしく時機を守るべし。あえて偏執することなかれ云々。
また、五人の立義、既に二途に分かれ、戒門において持破を論ず云々。
日興云わく、夫れ、波羅提木叉の用否、行住四威儀の所作、平嶮の時機に随い、持破に凡聖有り。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(455)五人所破抄 |