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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ため宮仕えを致すべきなり。
 そもそも、彼らがために教訓するにあらず、正見に任せて二義を立つ。一には所破のため、二には文証を借るなり。初めに所破のためとは、純一無雑の序分にはしばらく権乗の得果を挙げ、廃迹顕本の寿量にはなお伽耶の近情を明かす。これをもってこれを思うに、方便講読の元意は、ただこれ牒破の一段なり。もし所破のためと云わば念仏をも申すべきか等の愚難は、誠に四重の興廃に迷い、いまだ三時の弘経を知らず。重畳の狂難、嗚呼の至極なり。夫れ、諸宗破失の基は天台・伝教の助言にして、全く先聖の正意にあらず。何ぞ所破のために読まざるべけんや。経釈の明鏡、既に日月のごとし。天目の暗きは、邪雲に覆わるる故なり。
 次に、迹の文証を借りて本の実相を顕すなり。これらの深義は、聖人の高意にして、浅智の覃ぶところにあらず〈正機には将にこれを伝うべし〉云々。
  嘉暦三戊辰年七月草案す。    日順