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に越後国に弘通するの由これを聞く。
一、去ぬる正安年中以来、浄法房天目という者有り〈聖人に値い奉る〉。日興が義を盗み取って鎌倉においてこれを弘通す。また祖師の添加を蔑如する義もこれ有り。
一、弁阿闍梨の弟子・輔房日高、去ぬる嘉元年中以来、日興が義を盗み取って下総国において盛んに弘通す。
一、伊予阿闍梨の下総国真間の堂は一体仏なり。しかるに、去ぬる年月、日興が義を盗み取って四脇士を造り副う。彼の菩薩の像は宝冠形なり。
一、民部阿闍梨も同じく四脇士を造り副う。彼の菩薩像は比丘形にして納衣を着す。また近年以来、諸神に詣ずることを留むるの由聞くなり。
一、甲斐国に肥前房日伝という者有り〈寂日房の、後に背きし弟子なり〉。日興が義を盗み取って甲斐国において盛んにこの義を弘通す云々。これまた四脇士を造り副う。彼の菩薩の像は、身は皆金色にして剃髪の比丘形なり。また神詣で、これを留むる由これを聞く。
一、諸方に聖人の御書これを読む由のこと。
この書札の抄、別状有り。これを見るべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(454)富士一跡門徒存知の事 |