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も子孫等これを捨て、あるいは師には常随給仕の功に酬いてこれを授与すといえども弟子等これを捨つ。これによって、あるいはもって交易し、あるいはもって他のために盗まる。かくのごときの類い、それ数多なり。故に、賜るところの本主の交名を書き付くるは、後代の高名のためなり。
一、御筆の本尊をもって形木に彫み不信の輩に授与して軽賤する由、諸方にその聞こえ有り。いわゆる日向・日頂・日春等なり。
日興の弟子分においては、在家・出家の中に、あるいは身命を捨て、あるいは疵を被り、もしはまた在所を追い放たれて、一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り、これを授与するものなり。
〈本尊・人数等。また追い放たるる人等、頸切りに致さるる人等〉。
一、本門寺を建つべき在所のこと。
彼の天台・伝教は、在生に用いらるるのあいだ、直ちに寺塔を立てたもう。いわゆる、大唐の天台山、本朝の比叡山これなり。しかるに、この本門寺においては、先師、いずれの国、いずれの所ともこれを定め置かれず。
ここに日興云わく、およそ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。しかれば、駿河国富士山は、これ日本第一の名山なり。最もこの砌において本門寺を建立すべき由、奏聞し畢わんぬ。よって広宣流布の時至り、国主この法門を用いらるるの時は、必ず富士山に立てらるべきなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(454)富士一跡門徒存知の事 |