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一、本尊のこと〈四箇条〉。
一、五人一同に云わく、本尊においては釈迦如来を崇め奉るべしとて既に立てたり。したがって、弟子檀那等の中にも造立供養の御書これ在り云々。しかるあいだ、盛んに堂舎を造り、あるいは一体を安置し、あるいは普賢・文殊を脇士とす。よって聖人御筆の本尊においては、彼の仏像の後面に懸け奉り、または堂舎の廊にこれを捨て置く。
日興云わく、聖人御立の法門においては、全く絵像・木像の仏菩薩をもって本尊となさず、ただ御書の意に任せて妙法蓮華経の五字をもって本尊となすべし。即ち御自筆の本尊これなり。
一、上のごとく、一同にこの本尊を忽緒し奉るのあいだ、あるいは曼荼羅なりと云って、死人を覆って葬る輩も有り、あるいはまた沽却する族も有り。かくのごとく軽賤するあいだ、多分はもって失い畢わんぬ。
日興云わく、この御筆の御本尊は、これ一閻浮提にいまだ流布せず、正像末にいまだ弘通せざる本尊なり。しからば則ち、日興門徒の所持の輩においては、左右なく子孫等にも譲り弟子等にも付嘱すべからず。同一所に安置し奉り、六人一同に守護し奉るべし。これひとえに、広宣流布の時、本化国主御尋ね有らん期まで深く敬重し奉るべし。
一、日興弟子分の本尊においては、一々皆書き付け奉ること、誠に凡筆をもって直ちに聖筆を黷すこともっともその恐れ有りといえども、あるいは親には強盛の信心をもってこれを賜うといえど
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(454)富士一跡門徒存知の事 |