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已前の条々、大綱かくのごとし。この外、巨細つぶさに日興注し難きものなり。
一、甲斐国波木井郷身延山の麓に聖人の御廟あり。しかるに、日興、彼の御廟に通ぜざる子細、条々のこと。
彼の御廟の地頭・南部六郎入道〈法名日円〉は日興最初発心の弟子なり。この因縁によって、聖人御在所九箇年の間、帰依し奉る。滅後、その年月、義絶する条々のこと。
釈迦如来を造立供養して本尊となし奉るべし〈これ一〉。
次に、聖人御在生九箇年の間停止せらるる神社参詣、その年にこれを始む。二所・三島に参詣を致せり〈これ二〉。
次に、一門の勧進と号して、南部の郷内のふくしの塔を供養・奉加これ有り〈これ三〉。
次に、一門の仏事の助成と号して、九品念仏の道場一宇、これを造立し荘厳せり。甲斐国その処なり〈これ四〉。
已上、四箇条の謗法を教訓するところに、云わく「日向これを許す」云々。この義によって、去ぬるその年月、彼の波木井の入道子孫と、永くもって師弟の義絶し畢わんぬ。よって、御廟に相通ぜざるなり。
一、聖人の御例に順じ、日興六人の弟子を定むること。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(454)富士一跡門徒存知の事 |