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の仰せのように諫め進らせぬる者かなと自讃してこそ存じ候え。
「総じて、このことは三つの子細にて候。一には、安国論の正意破れ候いぬ。二には、久遠実成の木像、最前に破れ候。三には、謗法の施、始めて施され候いぬ。このこと、共に入道殿の御失にてはわたらせ給い候わず、ひとえに諂曲したる法師の過に候えば、思しめしなおさせ給い候いて、『今より以後、安国論のごとく、聖人の御存知、在世二十年のように信じ進らせ候べし』と、改心の御状をあそばして御影の御宝前に進らせさせ給え」と申し候を、御信用候わぬ上、軽しめたりとや思しめし候いつらん。「我は民部阿闍梨を師匠にしたるなり」と仰せの由承り候いしあいだ、さては法華経の御信心逆に成り候いぬ。
日蓮聖人の御法門は、三界の衆生のためには釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候を捨てて阿弥陀仏を憑み奉るによって、五逆罪の人と成って無間地獄に堕つべきなりと申す法門にて候わずや。何をもって聖人信仰し進らせたりとは知るべく候。日興が波木井の上下の御ために初発心の御師にて候ことは、二代・三代の末は知らず候、いまだ上にも下にも誰か御忘れ候べきとこそ存じ候え。
身延山を罷り出で候こと、面目なさ、本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し案じ候えば、いずくにても、聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候わんことこそ詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子ことごとく師敵対せられ候いぬ。日興一人、本師の正義を存して本懐を遂げ奉り候べき仁に相当たって覚え候えば、本意忘るることなく候。また君達はいずれも正義を御存知候えば
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(453)原殿御返事 | 原殿 |