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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

悦び入って候。ことさら御わたり候えば入道殿不宜に落ちはてさせ給い候わじと覚え候。
 なお、民部阿闍梨の邪見、奇異に覚え候。安房へ下向の時も、入道殿に参り候いて、外典の僻事なること、再三申しける由、承り候。聖人の安国論も外典にてかかせわたらせ給い候。文永八年の申し状も外典にて書して候ぞかし。その上、法華経と申すは漢土第一の外典の達者が書かれて候あいだ、一切経の中に文詞の次第めでたしとこそ申し候え。今、この法門を立て候わんにも、構えて外筆の仁を一人も出だし進らせんとこそ思い進らすることにて候いつれ。内外の才覚無くしては国も安からず法も立ち難しとこそありげに候。総じて、民部阿闍梨の存知、自然と御覧じ顕さるべし。
 殊に去ぬる卯月朔日より諸岡入道の門下に候小家に籠居して、画工を招き寄せ曼荼羅を書いて、同八日仏生日と号して、民部入道の室内にして一日一夜説法して布施を抱き出だすのみならず酒を興ずるあいだ、入道その心中を知って妻子を喚び出だして酒を勧むるあいだ、酔狂の余りに一声を挙げたること、所従・眷属の嘲弄、口惜しとも申すばかりなし。日蓮の御恥、何事かこれに過ぎんや。このことは世にもって隠れ無し、人皆知るところなり。このことをば、しばらく入道殿に隠し進らせて候えども、かくのごとき等のこと出来し候えば、彼の阿闍梨の、聖人の御法門継ぎ候まじき子細顕然のことに候えば、日興、彼の阿闍梨を捨て候ことを知らせ進らせんために申し候なり。
 同行に憚って、いかでか聖人の御義をば隠し候べきと。彼の阿闍梨の説法には、定めて、「一字も問いたる児どもの、日向を破するは」とのたまい候わんずらん。元より日蓮聖人に背き進らする師どもをば捨てぬが還って失にて候と申す法門なりと御存知わたらせ給うべきか。