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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ことの候にこそ候いぬれ。これと申すは、彼の民部阿闍梨、世間の欲心深くして、へつらい諂曲したる僧、聖人の御法門立つるまでは思い寄らず大いに破らんずる仁よと、この二・三年見つめて候いて、さりながら折々は、法門説法の曲がりけることを謂れ無き由を申し候いつれども、あえて用いず候。今年の大師講にも、啓白の祈願に「天長地久・御願円満。左右大臣・文武百官、各願成就」とし給い候いしを、「この祈りは当時は致すべからず」と再三申し候いしに、「いかでか国恩をば知り給わざるべく候」とて、制止を破り給い候いしあいだ、日興は今年、問答講仕らず候いき。
 これのみならず日蓮聖人御出世の本懐、南無妙法蓮華経の教主・久遠実成の如来の画像は、一・二人書き奉り候えども、いまだ木像をば誰も造り奉らず候に、入道殿御微力をもって形のごとく造立し奉らんと思しめし立ち候に、御用途も候わざるに、「大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに、それほどの仏を作らせ給え」と教訓し進らせ給いて、固くその旨を御存知候を、日興が申すようは、「せめて故聖人安置の仏にて候わばさも候いなん。それも、その仏は上行等の脇士も無く、始成の仏にて候いき。その上、それは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしくわたらせ給い候べき。御力契い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。いかに、聖人御出世の本懐、南無妙法蓮華経の教主の木像を最前には破らせ給うべき」と強いて申して候いしを、軽しめたりと思しめしけるやらん。
 日興は、かく申し候こそ聖人の御弟子としてその跡に帰依し進らせて候甲斐に重んじ進らせたる高名と存じ候は、聖人や入り替わらせ給いて候いけん、いやしくも諂曲せず、かつ経文のごとく聖人