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られ候のあいだ、「二人の弟子の相違を宣べ給うべきこと候。師匠は入滅し候と申せども、その遺状候なり。立正安国論これなり。私にても候わず、三代に披露し給い候」と申して候いしかども、なお御心中不明に候いて御帰り候い畢わんぬ。
これと申し候は、この殿三島の社に参詣わたらせ給うべしと承り候いしあいだ、夜半に出で候いて、越後坊をもって「いかに、この法門、安国論の正意、日蓮聖人の大願をば破り給うべきを御存知ばしわたらせおわしまさず候か」と申して、永く留め進らすることを入道殿聞こしめされ候いて、民部阿闍梨に問わせ給い候いけるほどに、御返事申され候いけることは、「守護の善神この国を去ると申すことは、安国論の一篇にて候えども、白蓮阿闍梨、外典読みに片方を読んで至極を知らざる者にて候。法華の持者参詣せば、諸神も彼の社壇に来会すべく、もっとも参詣すべし」と申され候いけるによって、入道殿深くこの旨を御信仰のあいだ、日興参入して問答申すのところに、案のごとく少しも違わず「民部阿闍梨の教えなり」と仰せの候いしを、白蓮、このことははや天魔の所為なりと存じ候いて、少しも恐れ進らせず、「いかに、謗法の国を捨てて還らずとあそばして候守護神を、御弟子の民部阿闍梨、参詣するごとに来会すべしと候は、師弟敵対、七逆罪に候わずや。かようにだに候わば、彼の阿闍梨は日興の帰依し奉り候えば、その科、日興遁れ難く覚え候。今より以後、かかる不法の学頭をば擯出すべく候」と申す。
やがてその次に富士の塔供養の奉加に入らせおわしまし候。もっての外の僻事に候。総じて、この二十余年の間、持斎の法師、御影をだに指さざりつるに、御信心いかようにも弱く成らせ給いたる
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(453)原殿御返事 | 原殿 |