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答えて云わく、一をもって万を察せよ。「庭戸を出でずして天下をしる」とは、これなり。癡人が疑って云わく「我らは南天を見て東西北の三空を見ず。彼の三方の空にこの日輪より別の日やましますらん。山を隔て煙の立つを見て火を見ざれば、煙は一定なれども火にてやなかるらん」。かくのごとくいわん者は一闡提の人としるべし。生盲にことならず。
法華経の法師品に、釈迦如来、金口の誠言をもって五十余年の一切経の勝劣を定めて云わく「我が説くところの経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。しかもその中において、この法華経は最もこれ難信難解なり」等云々。この経文は、ただ釈迦如来一仏の説なりとも、等覚已下は仰いで信ずべき上、多宝仏東方より来って「真実なり」と証明し、十方の諸仏集まって釈迦仏と同じく広長舌を梵天に付け給いて後、各々国々へ還らせ給いぬ。「已今当」の三字は、五十年ならびに十方三世の諸仏の御経一字一点ものこさず引き載せて法華経に対して説かせ給いて候なり。十方の諸仏この座にして御判形を加えさせ給い、各々また自国に還らせ給いて我が弟子等に向かわせ給いて「法華経に勝れたる御経あり」と説かせ給わば、その所化の弟子等信用すべしや。
また、我は見ざれば、月氏・竜宮・四天・日月等の宮殿の中に法華経に勝れさせ給いたる経やおわしますらんと疑いをなす。されば、梵釈・日月・四天・竜王は法華経の御座にはなかりけるか。もし、日月等の諸天、「法華経に勝れたる御経まします。汝はしらず」と仰せあるならば、大誑惑の日月なるべし。日蓮責めて云わく「日月は虚空に住し給えども、我らが大地に処するがごとくして堕落し給わざることは、上品の不妄語戒の力ぞかし。法華経に勝れたる御経ありと仰せある大妄語あるならば、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |