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また大日経・華厳経等の一切経をみるに、この経文に相似の経文、一字一点もなし。あるいは小乗経に対して勝劣をとかれ、あるいは俗諦に対して真諦をとき、あるいは諸の空・仮に対して中道をほめたり。譬えば、小国の王が我が国の臣下に対して大王というがごとし。法華経は諸王に対して大王等と云々。
ただし、涅槃経ばかりこそ法華経に相似の経文は候え。されば、天台已前の南北の諸師は迷惑して、法華経は涅槃経に劣ると云々。されども、専ら経文を開き見るには、無量義経のごとく華厳・阿含・方等・般若等の四十余年の経々をあげて、涅槃経に対して、我がみ勝るとといて、また法華経に対する時は「この経、世に出ずるは乃至法華の中の八千の声聞の記別を授かることを得て大菓実を成ずるがごとし。秋収冬蔵して、さらに所作無きがごとし」等と云々。我と涅槃経は法華経には劣るととける経文なり。こう経文は分明なれども、南北の大智の諸人の迷ってありし経文なれば、末代の学者能く能く眼をとどむべし。この経文は、ただ法華経・涅槃経の勝劣のみならず、十方世界の一切経の勝劣をもしりぬべし。しかるを、経文にこそ迷うとも、天台・妙楽・伝教大師の御りょうけんの後は、眼あらん人々はしりぬべきことぞかし。しかれども、天台宗の人たる慈覚・智証すら、なおこの経文にくらし。いおうや余宗の人々をや。
ある人疑って云わく、漢土・日本にわたりたる経々にこそ法華経に勝れたる経はおわせずとも、月氏・竜宮・四王・日月・忉利天・都率天なんどには恒河沙の経々ましますなれば、その中に法華経に勝れさせ給う御経やましますらん。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |