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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 問うて云わく、人に依るが失ならば、なんぞなんじは天台・妙楽・伝教大師に依るや。
 答えて云わく、あえて天台・妙楽・伝教大師を用いず。ただ天台・妙楽・伝教大師の引き給える証文によるなり。例せば、国をおさむる人、国の中のまつり事、三皇五帝等の三墳五典にて賞罰をおこなえば、聖人・賢人とはいわるれども人を罰する罪によりて悪道におちず。しかるを、重罪の者を愛するによりて軽罪におこない、奉公あるものを悪むによりて賞せずなんどあれば、現世には佞人のなをとり、国やぶれ、未来にはあしき名をながすなり。これひとえに、文書に依って人によらず、人によりて文書によらざるによりて、賢愚はいで来るなり。
 当世の僧俗、多くは人を本として経文を本とせず。ある者云わく、日蓮は善導和尚にはすぐべからず。あるいは云わく、日蓮見るほどの。

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良観不下一雨御書

 人、二百五十戒の諸僧数十万人を集め、八万法蔵を読むといえども、何ぞ一雨をも下らさざる。竜王の慳貪か、諸仏の妄語か。良観上人、身・口は仏弟子に似るといえども、心は一闡提人たるか。