2129ページ
の釈は、菩提心論の「唯」の字を用いずと見えて候。
問うて云わく、菩提心論を用いざるは竜樹を用いざるか。
答えて云わく、「ただし、恐らくは、訳者、曲げて私情に会せるならん」の心なり。
疑って云わく、訳者を用いざれば、法華経の羅什をも用いるべからざるか。
答えて云わく、羅什には現証あり、不空には現証なし。
問うて云わく、その証、いかん。
答えて云わく、舌の焼けざる、証なり。つぶさには聞くべし。
求めて云わく、覚・証等はこのことを知らざるか。
答えて云わく、この両人は無畏等の三蔵を信ずるが故に、伝教大師の正義を用いざるか。これ則ち、人を信じて法をすてたる人々なり。
問うて云わく、日本国にいまだ覚・証・然等を破したる人をきかず、いかん。
答えて云わく、弘法大師の門家は覚・証を用いるべしや。覚・証の門家は弘法大師を用いるべしや。
問うて云わく、両方の義相違すといえども、汝が義のごとく水火ならず。誹謗正法とはいわず、いかん。
答えて云わく、誹謗正法とは、その相貌いかん。外道が仏教をそしり、小乗が大乗をそしり、権大乗が実大乗を下し、実大乗が権大乗に力をあわせ、詮ずるところは勝を劣という。法にそむくがゆえに謗法とは申すか。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(411)妙一女御返事(即身成仏法門) | 弘安3年(’80)7月14日 | 59歳 | 妙一女 |