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弘法大師の大日経を法華経・華厳経に勝れたりと申すは証文ありや。法華経には華厳経・大日経等を下す文、分明なり。いわゆる「已今当」等なり。弘法尊しといえども、釈迦・多宝・十方分身の諸仏に背く大科免れ難し。
事を権門に寄せて日蓮をおどさんより、ただ正しき文を出だせ。汝等は人をかとうどとせり。日蓮は日月・帝釈・梵王をかとうどとせん。日月、天眼を開いて御覧あるべし。はたまた、日月の宮殿には法華経と大日経と華厳経とおわすときょうしあわせて御覧候え。弘法・慈覚・智証・安然の義と日蓮が義とは、いずれかすぐれて候。日蓮が義、もし百千に一つも道理に叶って候わば、いかにたすけさせ給わぬぞ。彼の人々の御義、もし邪義ならば、いかに、日本国の一切衆生の無眼の報いをえ候わんをば、不便とはおぼせ候わぬぞ。
日蓮が二度の流罪、結句は頸に及びしは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御頸を切らんとする人ぞかし。日月は一人にておわせども、四天下の一切衆生の眼なり、命なり。日月は仏法をなめて威光勢力を増し給うと見えて候。仏法のあじわいをたがうる人は日月の御力をうばう人、一切衆生の敵なり。いかに、日月は光を放って彼らが頂をてらし、寿命と衣食とをあたえてやしない給うぞ。彼の三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは、ひとえに日月の御心を入れさせ給いて謗ぜさせ給うか。その義なくして日蓮がひが事ならば、日天もしめし、彼らにもめしあわせ、その理にまけてありともその心ひるがえらずば、天寿をもめしとれかし。
その義はなくして、ただ理不尽に彼らにさるの子を犬にあずけ、ねずみの子を猫にたぶようにうち
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(411)妙一女御返事(即身成仏法門) | 弘安3年(’80)7月14日 | 59歳 | 妙一女 |