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なり」等云々。
疑って云わく、この釈はいずれの経文に依るや。
答えて云わく、金剛頂経・大日経等に依る。
求めて云わく、その経文、いかん。
答えて云わく、弘法大師、その証文を出だして云わく「この三昧を修する者は、現に仏菩提を証す」文。また云わく「この身を捨てずして神境通を逮得し、大空位に遊歩して身秘密を成ず」文。また云わく「我、本不生を覚る」文。また云わく「諸法は本より不生なり」云々。
難じて云わく、これらの経文は大日経・金剛頂経の文なり。しかりといえども、経文は、あるいは大日如来の成正覚の文、あるいは真言の行者の現身に五通を得るの文、あるいは十回向の菩薩の現身に歓喜地を証得する文にして、なお生身得忍にあらず。いかにいわんや即身成仏をや。
ただし、菩提心論は、一つには経にあらず。論を本とせば背上向下の科、「法に依って人に依らざれ」の仏説に相違す。
東寺の真言師、日蓮を悪口して云わく「汝は凡夫なり、弘法大師は三地の菩薩なり。汝いまだ生身得忍にあらず、弘法大師は帝の眼前に即身成仏を現ず。汝いまだ勅宣を承けざれば、大師にあらず、日本国の師にあらず」等云々〈これ一〉。「慈覚大師は伝教・義真の御弟子、智証大師は義真・慈覚の御弟子、安然和尚は安慧和尚の御弟子なり。この三人云わく『法華天台宗は理秘密の即身成仏、真言宗は事理俱密の即身成仏』云々。伝教・弘法の両大師、いずれもおろかならねども、聖人は偏頗なきゆ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(411)妙一女御返事(即身成仏法門) | 弘安3年(’80)7月14日 | 59歳 | 妙一女 |