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をしのび、法華経を弘めさせ給う。彼の比丘尼には雲泥勝れてありと、仏は霊山にて御覧あるらん。彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別のことにあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし。
王となる人は、過去にても現在にても、十善を持つ人の名なり。名はかわれども、師子の座は一つなり。この名もかわるべからず。
彼の仏の御言をさかがえす尼だにも一切衆生喜見仏となづけらる。これは仏の言をたがえず、この娑婆世界まで、名を失い、命をすつる尼なり。彼は養母として捨て給わず、これは他人として捨てさせ給わば、偏頗の仏なり。いかでか、さることは候べき。いわんや、「その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」の経文のごとくならば、今の尼は女子なり、彼の尼は養母なり。養母を捨てずして女子を捨つる仏の御意やあるべき。この道理を深く御存知あるべし。しげければ、とどめ候い畢わんぬ。
日蓮 花押
妙法尼御前
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(410)妙法比丘尼御前御返事 | 弘安4年(’81) | 60歳 | 妙法尼 |