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なく弘めさせ給いしかば、終には仏となり給う。昔の不軽菩薩は今の釈迦仏なり。それをそねみ打ちなんどせし大僧どもは、千劫阿鼻地獄に堕ちぬ。彼の人々は、観経・阿弥陀経等の数千の経、一切の仏名、弥陀念仏を申し、法華経を昼夜に読みしかども、実の法華経の行者をあだみしかば、法華経・念仏・戒等も助け給わず、千劫阿鼻地獄に堕ちぬ。彼の比丘等は、始めには不軽菩薩をあだみしかども、後には心をひるがえして、身を不軽菩薩に仕うること、やっこの主に随うがごとくありしかども、無間地獄をまぬかれず。
今また日蓮にあだをせさせ給う日本国の人々もかくのごとし。これは彼には似るべくもなし。彼は罵り打ちしかども、国主の流罪はなし。杖木・瓦石はありしかども、疵をかぼり、頸までには及ばず。これは悪口・杖木は二十余年が間ひまなし。疵をかぼり、流罪・頸に及ぶ。弟子等は、あるいは所領を召され、あるいはろうに入れ、あるいは遠流し、あるいはその内を出だし、あるいは田畠を奪いなんどすること、夜打ち・強盗・海賊・山賊・謀叛等の者よりもはげしく行わる。これまたひとえに真言・念仏者・禅宗等の大僧等の訴えなり。されば、彼の人々の御失は大地よりも厚ければ、この大地は大風に大海に船を浮かぶるがごとく動転す。天は八万四千の星瞋りをなし、昼夜に天変ひまなし。その上、日月大いに変多し。
仏の滅後、既に二千二百二十七年になり候に、大族王が五天の寺をやき十六の大国の僧の頸を切り、武宗皇帝の漢土の寺を失い仏像をくだき、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火をもってやき僧尼を打ちせめては還俗せさせし時も、これ程の彗星・大地震はいまだなし。彼には百千万倍過ぎて
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(409)妙法比丘尼御返事 | 弘安元年(’78)9月6日 | 57歳 | 妙法尼 |