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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

て云わく「進んでは涼原の本郷を見ることを得ず、退いては胡地の妻子に逢うことを得ず」云々。この心は、胡地の妻子をもすて、また唐の古き栖をも見ず、あらぬ国に流されたりと歎くなり。我が身には大忠ありしかども、かかる歎きあり。
 日蓮もまたかくのごとし。日本国を助けばやと思う心によって申し出だすほどに、我が生まれし国をもせかれ、また流されし国をも離れぬ。すでにこの深山にこもりて候が、彼の李如暹に似て候なり。ただし、本郷にも流されし処にも妻子なければ、歎くことはよもあらじ。ただ、父母のはかと、なれし人々のいかがなるらんとおぼつかなしとも申すばかりなし。
 ただし、うれしきことは、武士の習い、君の御ために宇治・勢多を渡し、前をかけなんどしてありし人は、たとい身は死すれども、名を後代に挙げ候ぞかし。日蓮は法華経のゆえに度々所をおわれ、戦をし、身に手をおい、弟子等を殺され、両度まで遠流せられ、既に頸に及べり。これひとえに法華経の御ためなり。法華経の中に仏説かせ給わく「我滅度して後、後の五百歳・二千二百余年すぎて、この経閻浮提に流布せん時、天魔、人の身に入りかわりて、この経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば、あるいはのり、打ち、所をうつし、あるいはころしなんどすべし。その時、まずさきをしてあらん者は、三世十方の仏を供養する功徳を得べし。我また因位の難行苦行の功徳を譲るべし」と説かせ給う〈取意〉。
 されば、過去の不軽菩薩は法華経を弘通し給いしに、比丘・比丘尼等の智慧かしこく二百五十戒を持てる大僧ども集まりて、優婆塞・優婆夷をかたらいて、不軽菩薩をのり打ちせしかども、退転の心