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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(409)

妙法比丘尼御返事

 弘安元年(ʼ78)9月6日 57歳 妙法尼

 御文に云わく「たふかたびら一つ、あによめにて候女房のつたう」と云々。また「おわりの次郎兵衛殿、六月二十二日に死なせ給う」と云々。
 付法蔵経と申す経は、仏、我が滅後に我が法を弘むべきようを説かせ給いて候。その中に「我が滅後正法一千年が間、次第に使いをつかわすべし。第一は迦葉尊者二十年、第二は阿難尊者二十年、第三は商那和修二十年、乃至第二十三は師子尊者なり」と云々。
 その第三の商那和修と申す人の御事を仏の説かせ給いて候ようは、商那和修と申すは衣の名なり。この人、生まれし時、衣をきて生まれて候いき。不思議なりしことなり。六道の中に、地獄道より人道に至るまでは、いかなる人も始めはあかはだかにて候に、天道こそ衣をきて生まれ候え。たといいかなる賢人・聖人も、人に生まるるならいは皆あかはだかなり。一生補処の菩薩すら、なおはだかにて生まれ給えり。いかにいわんや、その外をや。
 しかるにこの人は、商那衣と申すいみじき衣にまとわれて生まれさせ給いしが、この衣は血もつかず、けがるることもなし。譬えば、池に蓮のおい、おしの羽の水にぬれざるがごとし。この人、次第