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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 また禅宗と申す宗は、「真実の正法は教外別伝なり。法華経等の経々は教内なり。譬えば、月をさす指、渡りの後の船、彼岸に到ってなにかせん、月を見ては指は用事ならず」等云々。彼の人々、謗法ともおもわず、習い伝えたるままに存の外に申すなり。しかれども、この言は釈迦仏をあなずり、法華経を失い奉る因縁となりて、この国の人々皆一同に、五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら、しかも罪ともしらず。
 この大科次第につもりて、人王八十二代隠岐法皇と申せし王ならびに佐渡院等は、我が相伝の家人にも及ばざりし相州鎌倉の義時と申せし人に代を取られさせ給いしのみならず、島々にはなたれて歎かせ給いしが、終には彼の島々にして隠れさせ給いぬ。神は悪霊となりて地獄に堕ち候いぬ。その召し仕われし大臣已下は、あるいは頭をはねられ、あるいは水火に入り、その妻子等は、あるいは思い死にに死に、あるいは民の妻となりて今五十余年、その外の子孫は民のごとし。これひとえに、真言と念仏等をもてなして法華経・釈迦仏の大怨敵となりし故に、天照太神・正八幡等の天神地祇、十方の三宝にすてられ奉って、現身には我が所従等にせめられ、後生には地獄に堕ち候いぬ。
 しかるにまた、代東にうつりて年をふるままに、彼の国主を失いし真言宗等の人々、鎌倉に下り、相州の足下にくぐり入って、ようようにたばかる故に、本は上﨟なればとて、すかされて鎌倉の諸堂の別当となせり。また念仏者をば善知識とたのみて、大仏・長楽寺・極楽寺等とあがめ、禅宗をば寿福寺・建長寺等とあがめおく。隠岐法皇の果報の尽き給いし失より百千万億倍すぎたる大科、鎌倉に出来せり。