2108ページ
阿弥陀仏を木像に造り画像に書き、人ごとに六万・八万等の念仏を申す。また他方を抛って西方を願う。愚者の眼にも貴しと見え候上、一切の智人も皆いみじきことなりとほめさせ給う。
また人王五十代桓武天皇の御宇に、弘法大師と申す聖人この国に生まれて、漢土より真言宗と申すめずらしき法を習い伝え、平城・嵯峨・淳和等の王の御師となりて、東寺・高野と申す寺を建立し、また慈覚大師・智証大師と申す聖人、同じくこの宗を習い伝えて、叡山・園城寺に弘通せしかば、日本国の山寺一同にこの法を伝え、今に真言を行い鈴をふりて公家・武家の御祈りをし候。いわゆる二階堂・大御堂・若宮等の別当等これなり。これは古も御たのみある上、当世の国主等、家には柱、天には日月、河には橋、海には船のごとく御たのみあり。
禅宗と申すは、また当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給いて、父母よりも重んじ、神よりも御たのみあり。されば、一切の諸人、頭をかたぶけ、手をあざう。
かかる世に、いかなればにや候らん、天変と申して彗星長く東西に渡り、地夭と申して大地をくつがえすこと大海の船を大風の時大波のくつがえすに似たり。大風吹いて草木をからし、飢饉も年々にゆき、疫病月々におこり、大旱魃ゆきて、河・池・田畠、皆かわきぬ。かくのごとく、三災七難、数十年起こって民半分に減じ、残りは、あるいは父母、あるいは兄弟、あるいは妻子にわかれて歎く声、秋の虫にことならず。家々のちりうすること、冬の草木の雪にせめられたるに似たり。これはいかなることぞと経論を引き見候えば、仏の言わく「法華経と申す経を謗じ、我を用いざる国あらば、かかることあるべし」と仏の記しおかせ給いて候御言に、すこしもたがい候わず。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(409)妙法比丘尼御返事 | 弘安元年(’78)9月6日 | 57歳 | 妙法尼 |