SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

地獄に堕ちて、阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬことの候いけるぞ。
 譬えば、人ありて、世にあらんがために国主につかえ奉るほどに、させるあやまちはなけれども、我が心のたらぬ上、身にあやしきふるまいかさなるを、なお我が身にも失ありともしらず、また傍輩も不思議ともおもわざるに、后等の御事によりてあやまつことはなけれども自然にふるまいあしく、王なんどに不思議に見えまいらせぬれば、謀反の者よりもその失重し。この身とがにかかりぬれば、父母・兄弟・所従なんどもまたかるからざる失におこなわるることあり。
 謗法と申す罪をば、我もしらず、人も失とも思わず、ただ「仏法をならえば貴し」とのみ思って候ほどに、この人も、またこの人にしたがう弟子檀那等も、無間地獄に堕つることあり。いわゆる、勝意比丘・苦岸比丘なんど申せし僧は、二百五十戒をかたく持ち、三千の威儀を一つもかけずありし人なれども、無間大城に堕ちて出ずる期見えず。また彼の比丘に近づきて弟子となり檀那となる人々、存の外に大地微塵の数よりも多く地獄に堕ちて、師とともに苦を受けしぞかし。この人、後世のために衆善を修せしより外はまた心なかりしかども、かかる不祥にあいて候いしぞかし。
 かかることを見候いしゆえに、あらあら経論を勘え候えば、日本国の当世こそ、それに似て候え。代末になり候えば、世間のまつりごとのあらきにつけても世の中あやうかるべき上、この日本国は他国にもにず仏法弘まりて国おさまるべきかと思って候えば、中々、仏法弘まりて世もいたく衰え人も多く悪道に堕つべしと見えて候。
 その故は、日本国は月氏・漢土よりも堂塔等の多き中に、大体は阿弥陀堂なり。その上、家ごとに