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ぞなんどを見るようにこそ候らめ。
しかるに、日蓮は日本国安房国と申す国に生まれて候いしが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。「この度、いかにもして仏種をもうえ生死を離るる身とならん」と思って候いしほどに、皆人の願わせ給うことなれば、阿弥陀仏をたのみ奉り、幼少より名号を唱え候いしほどに、いささかのことありて、このことを疑いし故に、一つの願をおこす。
「日本国に渡れるところの仏経ならびに菩薩の論と人師の釈を習い見候わばや。また俱舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり。これらの宗々、枝葉をばこまかに習わずとも、所詮・肝要を知る身とならばや」と思いし故に、随分にはしりまわり、十二・十六の年より三十二に至るまで、二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々あらあら習い回り候いしほどに、一つの不思議あり。
我らがはかなき心に推するに、「仏法はただ一味なるべし。いずれもいずれも、心に入れて習い願わば、生死を離るべし」とこそ思って候に、仏法の中に入って悪しく習い候いぬれば、謗法と申す大いなる穴に堕ち入って、十悪五逆と申して日々夜々に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候ようなる智者・聖人の、一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のようにおもわれ、我が身もまたさながらに悪道にはよも堕ちじと思うほどに、十悪五逆の罪人よりもつよく
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(409)妙法比丘尼御返事 | 弘安元年(’78)9月6日 | 57歳 | 妙法尼 |