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妙法尼御前御返事(一句肝心の事)
弘安元年(ʼ78)7月3日 57歳 妙法尼
まず、法華経につけて御不審をたてて、その趣を御尋ね候こと、ありがたき大善根にて候。須弥山を他方の世界へつぶてになぐる人よりも、三千大千世界をまりのごとくにけあぐる人よりも、無量の余の経典を受け持って人に説ききかせ、聴聞の道俗に六神通をえせしめんよりも、末法のきょうこのごろ法華経の一句一偈のいわれをも尋ね問う人はありがたし。この趣を釈し説いて、人の御不審をはらさすべき僧もありがたかるべしと、法華経の四の巻の宝塔品と申す処に、六難九易と申して大事の法門候。今この御不審は、六つの難きことの内なり。ここに知んぬ、もし御持ちあらば、即身成仏の人なるべし。
この法華経には、我らが身をば法身如来、我らが心をば報身如来、我らがふるまいをば応身如来と説かれて候えば、この経の一句一偈を持ち信ずる人は、皆この功徳をそなえ候。南無妙法蓮華経と申すは、これ一句一偈にて候。
しかれども、同じ一句の中にも肝心にて候。「南無妙法蓮華経と唱うるばかりにて仏になるべしや」と、この御不審、所詮に候。一部の肝要、八軸の骨髄にて候。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(407)妙法尼御前御返事(一句肝心の事) | 弘安元年(’78)7月3日 | 57歳 | 妙法尼 |