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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ。また半分は死しぬ。今一分は身はやまざれども、心はやみぬ。また頭も、顕にも冥にも破れぬらん。罰に四つあり。総罰・別罰・冥罰・顕罰なり。聖人をあだめば、総罰一国にわたる。また四天下、また六欲・四禅にわたる。賢人をあだめば、ただ敵人等なり。今、日本国の疫病は総罰なり。定めて聖人の国にあるをあだむか。山は玉をいだけば草木かれず。国に聖人あればその国やぶれず。山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず。国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁えざるか。
 たとい日月の光ありとも、盲目のために用いることなし。たとい声ありとも、耳しいのためになにの用かあるべき。日本国の一切衆生は盲目と耳しいのごとし。この一切の眼と耳とをくじりて、一切の眼をあけ、一切の耳に物をきかせんは、いか程の功徳かあるべき。誰の人かこの功徳をば計るべき。たとい父母、子をうみて眼・耳有りとも、物を教うる師なくば、畜生の眼・耳にてこそあらましか。
 日本の一切衆生は、十方の中には西方の一方、一切の仏の中には阿弥陀仏、一切の行の中には弥陀の名号、この三つを本として余行をば兼ねたる人もあり、一向なる人もありしに、某、去ぬる建長五年より今に至るまで二十余年の間、遠くは一代聖教の勝劣・先後・浅深を立て、近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申すほどに、上一人より下万民に至るまで、このことを用いず。あるいは師々に問い、あるいは主々に訴え、あるいは傍輩にかたり、あるいは我が身は妻子・眷属に申すほどに、国々・郡々・郷々・村々・寺々・社々に沙汰あるほどに、人ごとに日蓮が名を知り、法華経を念仏に対して念仏のいみじき様、法華経叶いがたきこと、諸人のいみじき様、日蓮わろき様を申すほど