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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の親・主・師と申す経文は候か」と責めて、「無し」と云わんずるか、また「有り」と云わんずるか。もし「さる経文有り」と申さば、「御房の父は二人か」と責め給え。また「無し」といわば、「さては、御房は親をば捨てて、いかに他人をもてなすぞ」と責め給え。その上、法華経は他経には似させ給わねばこそとて、「四十余年」等の文を引かるべし。「即往安楽」の文にかからば、「さて、これにはまずつまり給えることは承伏か」と責めて、「それも」とて、また申すべし。
 構えて構えて、所領を惜しみ、妻子を顧み、また人を憑んであやぶむことなかれ。
 ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。人身は受け難く、法華経は信じ難しとは、これなり。「釈迦・多宝・十方の仏、来集して我が身に入りかわり、我を助け給え」と観念せさせ給うべし。
 地頭のもとに召さるることあらば、まずはこの趣を能く能く申さるべく候。恐々謹言。
  建治三年丁丑八月四日    日蓮 花押
 弥三郎殿御返事