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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(404)

弥三郎殿御返事

 建治3年(ʼ77)8月4日 56歳 弥三郎

 これは無智の俗にて候えども、承り候いしに貴く思い進らせ候いしは、法華の第二の巻に「今この三界は」とかや申す文にて候なり。この文の意は、今この日本国は釈迦仏の御領なり。天照太神・八幡大菩薩・神武天皇等の一切の神・国主ならびに万民までも釈迦仏の御所領の内なる上、この仏は我ら衆生に三つの故御坐します大恩の仏なり。一には国主なり、二には師匠なり、三には親父なり。この三徳を備え給うことは、十方の仏の中にただ釈迦仏ばかりなり。
 されば、今の日本国の一切衆生は、たとい釈迦仏にねんごろに仕うること、当時の阿弥陀仏のごとくすとも、また他仏を並べて同じようにもてなし進らせば、大いなる失なり。譬えば、我が主の、しかも智者にて御坐しまさんを、他国の王に思い替えて、日本国にすみながら漢土・高麗の王を重んじて日本国の王におろそかならんをば、この国の大王、いみじと申すものならんや。
 いわんや、日本国の諸僧は、一人もなく釈迦如来の御弟子として頭をそり衣を着たり。阿弥陀仏の弟子にはあらぬぞかし。しかるに、釈迦堂・法華堂、画像・木像、法華経一部も持ち候わぬ僧どもが、三徳全く備わり給える釈迦仏をば閣いて、一徳もなき阿弥陀仏を、国こぞりて郷・村・家ごとに人の