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数よりも多く立てならべ、阿弥陀仏の名号を一向に申して、一日に六万・八万なんどす。打ち見て候ところは、あら貴や貴やと見え候えども、法華経をもって見進らせ候えば、中々、日々に十悪を造る悪人よりも過重きは、善人なり。
悪人は、いずれの仏にもよりまいらせ候わねば、思い替わる辺もなし。もしまた善人とも成らば、法華経に付き進らすることもや有りなん。日本国の人々は、いかにも阿弥陀仏より釈迦仏、念仏よりも法華経を、重くしたしく心よせに思い進らせぬること難かるべし。されば、この人々は、善人に似て悪人なり。悪人の中には一閻浮提第一の大謗法の者、大闡提の人なり。釈迦仏、この人をば、法華経の二の巻に「その人は命終して、阿鼻獄に入らん」と定めさせ給えり。
されば、今の日本国の諸僧等は、提婆達多・瞿伽梨尊者にも過ぎたる大悪人なり。また在家の人々は、これらを貴み供養し給う故に、この国、眼前に無間地獄と変じて、諸人、現身に大飢渇・大疫病、先代になき大苦を受くる上、他国より責めらるべし。これはひとえに梵天・帝釈・日月等の御はからいなり。
かかることをば、日本国にはただ日蓮一人ばかり知って、始めは云うべきか云うまじきかとうらおもいけれども、「さりとては、いかにすべき。一切衆生の父母たる上、仏の仰せを背くべきか、我が身こそいかようにもならめ」と思って云い出だせしかば、二十余年、所をおわれ、弟子等を殺され、我が身も疵を蒙り、二度まで流され、結句は頸切られんとす。これひとえに、日本国の一切衆生の大苦にあわんを、兼ねて知って歎き候なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(404)弥三郎殿御返事 | 建治3年(’77)8月4日 | 56歳 | 弥三郎 |