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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

のぶる肝要として、「般若は秘密にあらず、二乗作仏なし。法華はこれ秘密なり、二乗作仏あり」と云えり。また云わく「二乗作仏あるはこれ秘密、二乗作仏なきはこれ顕教」と云えり。もし菩提心論の語のごとくならば、別しては竜樹の大論にそむき、総じては諸仏出世の本意、一大事の因縁をやぶるにあらずや。今、竜樹・天親等は、皆、釈尊の説教を弘めんがために世に出ず。付法蔵二十四人のその一りなり。何ぞかくのごとき妄説をなさんや。彼の真言はこれ般若経にも劣れり。いかにいわんや法華に並べんや。しかるに、弘法の秘蔵宝鑰に、真言に一代を摂するとして法華を第三番に下し、あまつさえ戯論なりと云えり。謹んで法華経を披きたるに、「諸の如来の所説の中に第一なり」と云えり。また「已今当の三説に勝れたり」と見えたり。また、薬王の十喩の中に、法華を大海にたとえ、日輪にたとえ、須弥山にたとえたり。もしこの義に依らば、深きこと何ぞ海にすぎん。明らかなること何ぞ日輪に勝れん。高きこと何ぞ須弥山に越ゆること有らん。喩えをもって知んぬべし、何をもってか法華に勝れたりと云わんや。大日経等に全くこの義なし。ただ己が見に任せて永く仏意に背く。
 妙楽大師曰わく「請う、眼有らん者は委悉にこれを尋ねよ」と云えり。法華経を指して華厳に劣れりと云うは、あに眼ぬけたるものにあらずや。また大経に云わく「もし仏の正法を誹謗する者あらん、正にその舌を断つべし」と。ああ、誹謗の舌は世々において物云うことなく、邪見の眼は生々にぬけて見ることなからん。しかのみならず、「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」の文のごとくならば、定めて無間大城に堕ちて無量億劫のくるしみを受けん。善導・法然も、これに例して知んぬべし。誰か智慧有らん人、この謗法の流れを汲んで共に阿鼻の焰