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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(402)

星名五郎太郎殿御返事

 文永4年(ʼ67)12月5日 46歳 星名五郎太郎

 漢の明、夜夢みしより、迦・竺二人の聖人初めて長安のとぼそに臨みしより以来、唐の神武皇帝に至るまで、天竺の仏法震旦に流布し、梁の代に百済国の聖明王より我が朝の人王三十代欽明の御宇に仏法初めて伝う。それより已来、一切の経論・諸宗、皆日域にみてり。幸いなるかな、生を末法に受くといえども、霊山のきき、耳に入り、身は辺土に居せりといえども、大河の流れ、掌に汲めり。
 ただし、委しく尋ね見れば、仏法において大小・権実・前後のおもむきあり。もしこの義に迷いぬれば、邪見に住して、仏法を習うといえども還って十悪を犯し五逆を作る罪よりも甚だしきなり。ここをもって、世を厭い道を願わん人、まずこの義を存ずべし。例せば彼の苦岸比丘等のごとし。故に、大経に云わく「もし邪見なることあらんに、命終の時、正に阿鼻獄に堕つべし」と云えり。
 問う。何をもってか邪見の失を知らん。予、不肖の身たりといえども、随分、後世を畏れ、仏法を求めんと思う。願わくはこの義を知らん。もし邪見に住せば、ひるがえして正見におもむかん。
 答う。凡眼をもって定むべきにあらず。浅智をもって明らむべきにあらず。経文をもって眼とし、仏智をもって先とせん。ただ恐らくは、もしこの義を明かさば、定めていかりをなし、憤りを含ま