にやかれん。行者能く畏るべし。これはこれ大邪見の輩なり。ゆえに如来誠諦の金言を按ずるに云わく「我が正法をやぶらんことは、譬えば猟師の身に袈裟をかけたるがごとし。あるいは須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢・辟支仏、および仏の色身を現じて我が正法を壊らん」といえり。
今、この善導・法然等は、種々の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし、如来の正法を滅ぼす。なかんずく、彼の真言等の流れ、ひとえに現在をもって旨とす。いわゆる、畜類を本尊として男女の愛法を祈り荘園等の望みをいのる。かくのごとき少分のしるしをもって奇特とす。もしこれをもって勝れたりといわば、彼の月氏の外道等にはすぎじ。彼の阿竭多仙人は、十二年の間、恒河の水を耳にたたえたりき。また耆㝹仙人の四大海を一日の中にすいほし、拘留外道は八百年の間石となる。あにこれにすぎたらんや。また、瞿曇仙人が十二年のほど釈身と成り説法せし、弘法が刹那のほどにびるさなの身と成りし、その威徳を論ぜば、いかん。もし彼の変化のしるしを信ぜば、即ち外道を信ずべし。当に知るべし、彼威徳ありといえども、なお阿鼻の炎をまぬかれず。いわんや、わずかの変化においてをや。いわんや、大乗誹謗においてをや。これ一切衆生の悪知識なり。近付くべからず。畏るべし、畏るべし。
仏曰わく「悪象等においては畏るる心なかれ。悪知識においては畏るる心をなせ。何をもっての故に。悪象はただ身をやぶり、意をやぶらず。悪知識は二つ共にやぶる故に。この悪象等はただ一身をやぶる。悪知識は無量の身、無量の意をやぶる。悪象等はただ不浄の臭き身をやぶる。悪知識は浄身および浄心をやぶる。悪象はただ肉身をやぶる。悪知識は法身をやぶる。悪象のためにころされては三悪に至らず。悪知識のために殺されたるは必ず三悪に至る。この悪象はただ身のためにあだなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(402)星名五郎太郎殿御返事 | 文永4年(’67)12月5日 | 46歳 | 星名五郎太郎 |