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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 夫れ、目連尊者の父をば吉占師子、母をば青提女と申せしなり。母、死して後、餓鬼道に堕ちたり。しかれども、凡夫の間は知ることなし。証果の二乗となりて天眼を開いて見しかば、母餓鬼道に堕ちたりき。あらあさましやというばかりもなし。餓鬼道に行って飯をまいらせしかば、わずかに口に入るるかと見えしが、飯変じて炎となり、口はかなえのごとく、飯は炭をおこせるがごとし。身は灯炬のごとくもえあがりしかば、神通を現じて水を出だして消すところに、水変じて炎となり、いよいよ火炎のごとくもえあがる。目連、自力には叶わざるあいだ、仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し、その生飯を取って、わずかに母の餓鬼道の苦をば救い給えるばかりなり。
 釈迦仏は、御誕生の後、七日と申せしに、母の摩耶夫人におくれまいらせましましき。凡夫にてわたらせ給えば、母の生処を知ろしめすことなし。三十の御年に仏にならせ給いて、父・浄飯王を現身に教化して、証果の羅漢となし給う。母の御ためには忉利天に昇り給いて摩耶経を説き給いて、父母を阿羅漢となしまいらせ給いぬ。これらをば、爾前の経々の人々は孝養の二乗、孝養の仏とこそ思い候えども、立ち還って見候えば、不孝の声聞、不孝の仏なり。
 目連尊者程の聖人が母を成仏の道に入れ給わず、釈迦仏程の大聖の、父母を二乗の道に入れ奉って永不成仏の歎きを深くなさせまいらせ給いしをば、孝養とや申すべき、不孝とや云うべき。しかるに、浄名居士、目連を毀って云わく「六師外道が弟子なり」等云々。仏、自身を責めて云わく「我は則ち慳貪に堕せん。この事は不可となす」等云々。しかれば、目連は知らざれば科浅くもやあるらん。仏は法華経を知ろしめしながら、生きておわする父に惜しみ、死してまします母に再び値い奉り