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あたいは、一合なりとも三千大千世界にかえぬべし。されば、乳一升のあたいを撿えて候えば、米に当つれば一万一千八百五十斛五升、稲には二万一千七百束に余り、布には三千三百七十段なり。いかにいわんや、一百八十斛三升五合のあたいをや。
他人の物は、銭の一文・米一合なりとも盗みぬれば、ろうのすもりとなり候ぞかし。しかるを、親は十人の子をば養えども、子は一人の母を養うことなし。あたたかなる夫をば懐いて臥せども、こごえたる母の足をあたたむる女房はなし。
給孤独園の金鳥は子のために火に入り、憍尸迦夫人は夫のために父を殺す。仏の云わく「父母は常に子を念えども、子は父母を念わず」等云々。影堅王の云わく「父は子を念うといえども、子は父を念わず」等これなり。たといまた、今生には父母に孝養をいたすようなれども、後生のゆくえまで問う人はなし。母の生きておわせしには、心には思わねども、一月に一度、一年に一度は問いしかども、死し給いてより後は、初七日より二七日、乃至第三年までは、人目のことなれば形のごとく問い訪い候えども、十三年、四千余日が間のほどは、かきたえ、問う人はなし。生きておわせし時は一日片時のわかれをば千万日とこそ思われしかども、十三年、四千余日のほどは、つやつやおとずれなし。いかにきかまほしくましますらん。
夫れ、外典の孝経には、ただ今生の孝のみをおしえて後生のゆくえをしらず。身の病をいやして心の歎きをやめざるがごとし。内典五千余巻には、人天・二乗の道に入れて、いまだ仏道へ引導することなし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(401)刑部左衛門尉女房御返事 | 弘安3年(’80)10月21日 | 59歳 | 刑部左衛門尉の妻 |