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き者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来のごとくに敬うべし。これ正しく経文なり。
今時の禅宗は、大段、仁・義・礼・智・信の五常に背けり。有智の高徳をおそれ、老いたるを敬い、幼きを愛するは内外典の法なり。しかるを、彼の僧家の者を見れば、昨日今日まで田夫野人にして黒白を知らざる者も、かちんの直綴をだにも着つれば、うち慢じて、天台・真言の有智・高徳の人をあなずり、礼をもせず、その上に居らんと思うなり。これ傍若無人にして畜生に劣れり。ここをもって伝教大師の御釈に云わく「川獺祭魚のこころざし、林烏父祖の食を通ず。鳩鴿三枝の礼あり、行雁連を乱らず、羔羊踞って乳を飲む。賤しき畜生すら礼を知ること、かくのごとし。何ぞ人倫においてその礼なからんや」とあそばされたり〈取意〉。彼らが法に迷うこと、道理なり。人倫にしてだにも知らず。これ天魔破旬のふるまいにあらずや。
これらの法門を能く能く明らめて、一部八巻二十八品を頭にいただき、懈らず行い給え。また某を恋しくおわせん時は、日々に日を拝ませ給え。某は日に一度、天の日に影をうつす者にて候。この僧によませまいらせて、聴聞あるべし。この僧を解悟の智識と憑み給いて、つねに法門御たずね候べし。聞かずんば、いかでか迷闇の雲を払わん。足なくして、いかでか千里の道を行かんや。返す返す、この書をつねによませて御聴聞あるべし。事々面の次いでを期し候あいだ、委細には申し述べず候。あなかしこ、あなかしこ。
弘安三年二月 日 日蓮 花押
新池殿
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(400)新池御書 | 弘安3年(’80)2月 | 59歳 | 新池殿 |