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なければ、仏に成り候ぞ。仏に成り候ことは別の様は候わず。南無妙法蓮華経と他事なく唱え申して候えば、天然と三十二相八十種好を備うるなり。「我がごとく等しくして異なることなし」と申して、釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。
譬えば、鳥の卵は始めは水なり。その水の中より、誰かなすともなけれども、觜よ目よと厳り出で来て、虚空にかけるがごとし。我らも無明の卵にしてあさましき身なれども、南無妙法蓮華経の唱えの母にあたためられまいらせて、三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生いそろいて、実相真如の虚空にかけるべし。ここをもって経に云わく「一切衆生は無明の卵に処して、智慧の口ばしなし。仏母の鳥は分段・同居の古栖に返って、無明の卵をたたき破って、一切衆生の鳥をすだてて、法性真如の大虚にとばしむ」と説けり〈取意〉。
有解無信とて、法門をば解って信心なき者は、さらに成仏すべからず。有信無解とて、解はなくとも信心あるものは、成仏すべし。皆この経の意なり。私の言にはあらず。されば、二の巻には「信をもって入ることを得たり。己が智分にあらず」とて、智慧第一の舎利弗も、ただこの経を受け持ち信心強盛にして仏になれり、己が智慧にて仏にならずと説き給えり。舎利弗だにも智慧にては仏にならず。いわんや、我ら衆生、少分の法門を心得たりとも、信心なくば仏にならんことおぼつかなし。
末代の衆生は法門を少分こころえ、僧をあなずり、法をいるかせにして悪道におつべしと説き給えり。法をこころえたるしるしには、僧を敬い法をあがめ仏を供養すべし。今は仏ましまさず。解悟の智識を仏と敬うべし。いかでか徳分なからんや。後世を願わん者は、名利名聞を捨てて、いかに賤し
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(400)新池御書 | 弘安3年(’80)2月 | 59歳 | 新池殿 |