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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 今までは、正しく仏の御使い出世してこの経を弘めず。国主もあながちに御敵にはならせ給わず。ただいずれも貴しとのみ思うばかりなり。今、某、仏の御使いとしてこの経を弘むるによって、上一人より下万民に至るまで、皆謗法と成り畢わんぬ。今までは、「この国の者ども、法華経の御敵にはなさじ」と、一子のあやにくのごとく捨てかねておわせども、霊山の起請のおそろしさに、社を焼き払って天に上らせ給いぬ。さはあれども、身命をおしまぬ法華経の行者あれば、その頭には住むべし。天照太神・八幡大菩薩、天に上らせ給わば、その余の諸神いかでか社に留まるべき。たとい捨てじと思しめすとも、霊山のやくそくのままに某呵責し奉らば、一日もやわかおわすべき。譬えば、盗人の候に、知れぬ時はかしこやここに住み候えども、能く案内知りたる者の「これこそ盗人よ」とののしりどめけば、おもわぬ外に栖を去るがごとく、某にささえられて社をば捨て給う。しかるに、この国、思いの外に悪鬼神の住みかとなれり。哀れなり、哀れなり。
 また一代聖教を弘むる人多くおわせども、これ程の大事の法門をば、伝教・天台もいまだ仰せられず。それも道理なり。末法の始めの五百年に上行菩薩の出世あって弘め給うべき法門なるが故なり。相構えて、いかにしてもこの度この経を能く信じて、命終の時、千仏の迎いに預かり、霊山浄土に走りまいり、自受法楽すべし。信心弱くして成仏ののびん時、某をうらみさせ給うな。譬えば、病者に良薬を与うるに、毒を好んでくいぬれば、その病愈えがたき時、我がとがとは思わず、還って医師を恨むるがごとくなるべし。
 この経の信心と申すは、少しも私なく、経文のごとくに、人の言を用いず、法華一部に背くこと