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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

がめし時ともない遊びし人は、花とともに無常の嵐に散りはてて、名のみ残りてその人はなし。花は散りぬといえども、またこん春も発くべし。されども消えにし人は、またいかならん世にか来るべき。秋の暮れに月を詠めし時戯れむつびし人も、月とともに有為の雲に入って後、面影ばかり身にそいて物いうことなし。月は西山に入るといえども、またこん秋も詠むべし。しかれども、かくれし人は今いずくにか住みぬらん、おぼつかなし。
 無常の虎のなく音は耳にちかづくといえども、聞いて驚くことなし。屠所の羊の今幾日か無常の道を歩まん。
 雪山の寒苦鳥は、寒苦にせめられて、夜明けなば栖つくらんと鳴くといえども、日出でぬれば、朝日のあたたかなるに眠り、忘れて、また栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをう。一切衆生もまたまたかくのごとし。地獄に堕ちて炎にむせぶ時は、願わくは今度人間に生まれて、諸事を閣いて三宝を供養し、後世菩提をたすからんと願えども、たまたま人間に来る時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし。無益のことには財宝をつくすにおしからず、仏法僧にすこしの供養をなすにはこれをものうく思うこと、これただごとにあらず。地獄の使いのきおうものなり。寸善尺魔と申すはこれなり。
 その上、この国は謗法の土なれば、守護の善神は法味にうえて社をすて天に上り給えば、社には悪鬼入りかわりて多くの人を導く。仏陀は化をやめて寂光土へ帰り給えば、堂塔・寺社はいたずらに魔縁の栖と成りぬ。国の費え、民の歎きにて、いらかを並べたるばかりなり。これ私の言にあらず、