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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

漢土にも勝れ、天竺にもまされり。
 ただし、仏法に入って諍論あり。浄土宗の人々は阿弥陀仏を本尊とし、真言の人々は大日如来を本尊とす。禅宗の人々は経と仏とをば閣いて達磨を本尊とす。余宗の人々は念仏者・真言等に随えられ、いずれともなけれども、つよきに随い、多分に押されて、阿弥陀仏を本尊とせり。現在の主・師・親たる釈迦仏を閣いて、他人たる阿弥陀仏の十万億の他国へにげ行くべきよしをねがわせ給い候。
 阿弥陀仏は、親ならず、主ならず、師ならず。されば、一経の内、虚言の四十八願を立て給いたりしを、愚かなる人々実と思って、物狂わしく金・拍子をたたき、おどりはねて念仏を申し、親の国をばいとい出でぬ。来迎せんと約束せし阿弥陀仏の約束の人は来らず、中有のたびの空に迷って、謗法の業にひかれて三悪道と申す獄屋へおもむけば、獄卒の阿防羅刹悦びをなし、とらえからめてさいなむこと限りなし。
 これをあらあら経文に任せてかたり申せば、日本国の男女四十九億九万四千八百二十八人ましますが、某一人を不思議なる者に思って、余の四十九億九万四千八百二十七人は皆敵と成って、主・師・親の釈尊をもちいぬだに不思議なるに、かえりて、あるいはのり、あるいはうち、あるいは処を追い、あるいは讒言して流罪し死罪に行わるれば、貧なる者は富めるをへつらい、賤しき者は貴きを仰ぎ、無勢は多勢にしたがうことなれば、たまたま法華経を信ずるようなる人々も、世間をはばかり人を恐れて、多分は地獄へ堕つること不便なり。
 ただし、日蓮が愚眼にてやあるらん、また宿習にてや候らん。「法華経は最も第一なり」「已今当