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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(397)

白米一俵御書

 弘安期

 白米一俵・けいもひとたわら・こうのりひとかご、御つかいをもって、わざわざおくられて候。
 人にも二つの財あり。一には衣、二には食なり。経に云わく「有情は食に依って住す」と云々。文の心は、生ある者は衣と食とによって世にすむと申す心なり。魚は水にすむ、水を宅とす。木は地の上において候、地を財とす。人は食によって生あり、食を財とす。いのちと申す物は、一切の財の中に第一の財なり。「三千界に遍満するも、身命に直するもの有ることなし」ととかれて、三千大千世界にみてて候財も、いのちにはかえぬことに候なり。されば、いのちはともしびのごとし。食はあぶらのごとし。あぶらつくればともしびきえぬ。食なければいのちたえぬ。
 一切のかみ・仏をうやまいたてまつる始めの句には、「南無」と申す文字をおき候なり。南無と申すはいかなることぞと申すに、南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には「帰命」と申す。帰命と申すは、我が命を仏に奉ると申すことなり。我が身には分に随って妻子・眷属・所領・金銀等をもてる人々もあり、また財なき人々もあり。財あるも財なきも、命と申す財にすぎて候財は候わず。されば、いにしえの聖人・賢人と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。