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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

に値い給いて天台宗を習う。日本に帰朝して云わく「天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり。ともに深秘なり」等云々。宣旨を申してこれにそう。
 その後、円珍と申す人あり。後には智証大師とごうす。入唐已前には義真和尚の御弟子なり。日本国にして義真・円澄・円仁等の人々に天台・真言の二宗を習いきわめたり。その上、去ぬる仁寿三年に御入唐、貞観元年に御帰朝。七年が間、天台・真言の二宗を法全・良諝等の人々に習いきわむ。天台・真言の二宗の勝劣、鏡をかけたり。「後代に一定あらそいありなん、定むべし」と云って、「天台・真言の二宗は、譬えば、人の両の目、鳥の二つの翼のごとし」、この外、異義を存せん人々をば「祖師・伝教大師にそむく人なり。山に住むべからず」と宣旨を申しそえて弘通せさせ給いき。されば、漢土・日本に智者多しというとも、この義をやぶる人はあるべからず。この義まことならば、習う人々は必ず仏にならせ給いぬらん。あがめさせ給う国王等は、必ず世安穏にありぬらんとおぼゆ。
 ただし、予が愚案は、人に申すとも、御もちいあるべからざる上、身のあだとなるべし。またきかせ給う弟子檀那も安穏なるべからずとおもいし上、その義またたがわず。ただし、このことは一定仏意には叶わでもやあるらんとおぼえ候。法華経一部八巻二十八品には、この経に勝れたる経おわせば、この法華経は十方の仏あつまりて大妄語をあつめさせ給えるなるべし。したがって、華厳・涅槃・般若・大日経・深密等の経々を見るに、「諸経の中において最もその上に在り」の明文をやぶりたる文なし。
 したがって、善無畏等、玄奘等、弘法・慈覚・智証等、種々のたくみあれども、法華経を大日経に