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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の真言経には及ばず」と云々。その後、妙楽大師は、天台大師のせめ給わざる法相宗・華厳宗・真言宗をせめ給いて候えども、天台大師のごとく公場にてせめ給わざれば、ただ闇夜のにしきのごとし。法華経になき印と真言と現前なるゆえに、皆人一同に真言まさりにてありしなり。
 像法の中に日本国に仏法わたり、いわゆる欽明天皇の六年なり。欽明より桓武にいたるまで二百余年が間は、三論・成実・法相・俱舎・華厳・律の六宗弘通せり。真言宗は人王四十四代元正天皇の御宇にわたる。天台宗は人王第四十五代聖武天皇の御宇にわたる。しかれども、ひろまることなし。
 桓武の御代に最澄法師、後には伝教大師とごうす。入唐已前に六宗を習いきわむる上、十五年が間、天台・真言の二宗を山にこもりいて御覧ありき。入唐已前に天台宗をもって六宗をせめしかば、七大寺皆せめられて最澄の弟子となりぬ。六宗の義やぶれぬ。後、延暦二十三年に御入唐、同二十四年御帰朝。天台・真言の宗を日本国にひろめたり。ただし、勝劣のことは内心にこれを存して人に向かってとかざるか。
 同じき代に空海という人あり。後には弘法大師とごうす。延暦二十三年に御入唐、大同三年御帰朝。ただ真言の一宗を習いわたす。この人の義に云わく「法華経はなお華厳経に及ばず。いかにいわんや真言においてをや」。
 伝教大師の御弟子に円仁という人あり。後に慈覚大師とごうす。去ぬる承和五年の御入唐、同十四年に御帰朝。十年が間、真言・天台の二宗をがくす。日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習いきわめたる上、漢土にわたりて十年が間、八箇の大徳にあいて真言を習い、宗叡・志遠等