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貪・瞋・癡強盛なれば、神の智浅く威も力も少なし。氏子どもをも守護しがたかりしかば、漸く仏法と申す大法を取り渡して、人の意も直ぐに、神も威勢強かりしほどに、仏法につき謬り多く出来せし故に、国あやうかりしかば、伝教大師漢土に渡って、日本と漢土と月氏との聖教を勘え合わせて、おろかなるをば捨て、賢きをば取り、偏頗もなく勘え給いて、法華経の三部を鎮護国家の三部と定め置いて候いしを、弘法大師・慈覚大師・智証大師と申せし聖人等、あるいは漢土に事を寄せ、あるいは月氏に事を寄せて、法華経をあるいは第三・第二、あるいは戯論、あるいは無明の辺域等と押し下し給いて、法華経を真言の三部と成さしめて候いしほどに、代漸く下剋上し、この邪義既に一国に弘まる。人多く悪道に落ちて神の威も漸く滅し、氏子をも守護しがたき故に、八十一乃至八十五の五主は、あるいは西海に沈み、あるいは四海に捨てられ、今生には大鬼となり、後生は無間地獄に落ち給いぬ。しかりといえども、このこと知れる人なければ、改まることなし。今、日蓮、このことをあらあら知る故に国の恩を報ぜんとするに、日蓮を怨み給う。
これらはさて置きぬ。氏女の慈父は輪陀王のごとし、氏女は馬鳴菩薩のごとし。白鳥は法華経のごとし、白馬は日蓮がごとし。南無妙法蓮華経は白馬の鳴くがごとし。大王の聞こしめして、色も盛んに力も強きは、過去の慈父が氏女の南無妙法蓮華経の御音を聞こしめして仏に成らせ給うがごとし。
弘安三年八月十四日 日蓮 花押
内房女房御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(389)内房女房御返事 | 弘安3年(’80)8月14日 | 59歳 | 内房女房 |