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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

導和尚は立ち所に法華経を抛げすてて観経を行ぜしかば、三昧発得して阿弥陀仏に見参して、重ねてこの法門を渡し給う。四帖の疏これなり。
 導云わく「しかるに、諸仏の大悲は、苦なる者において、心ひとえに常没の衆生を愍念す。ここをもって、勧めて浄土に帰せしむ。また、水に溺るるの人は、急やかにすべからくひとえに救うべきがごとし。岸の上の者は何をもってか済わん」と云々。また云わく「深心と言うは、即ちこれ深信の心なり。また二種有り。一には、決定して『自身は現にこれ罪悪生死の凡夫なり。曠劫より已来、常に没し、常に流転して、出離の縁有ることなし』と深信す」。また云わく「二には、決定して『彼の阿弥陀仏の四十八願は、衆生を摂受したもうこと疑いなく慮いなし。彼の願力に乗ずれば、定めて往生を得』と深信す」云々。この釈の心は上にかき顕して候。浄土宗の肝心と申すはこれなり。我ら末代の凡夫は、涅槃経の第一・第二なり。さる時に釈迦仏の教えには「出離の縁有ることなし」、法蔵比丘の本願にては「定めて往生を得」と知るを三心の中の深心とは申すなり等云々。
 これまた、導和尚の私義にはあらず。綽禅師と申せし人の、涅槃経を二十四反こうぜしが、曇鸞法師の碑の文を見て、立ち所に涅槃経を捨てて観経に遷って後、この法門を導には教えて候なり。鸞法師と申せし人は斉の代の人なり。漢土にては時に独歩の人なり。初めには四論と涅槃経とをこうぜしが、菩提流支と申す三蔵に値って、四論と涅槃を捨て、観経に遷って往生をとげし人なり。三代が間、伝えて候法門なり。
 漢土・日本には八宗を習う智人も、正法すでに過ぎて像法に入りしかば、かしこき人々は皆自宗を