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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

はまた彼の六人の家人なり。彼の将門等は、官軍の向かわざりし時は、大将の所従、知行の地、しばらく安穏なりしようなりしかども、違勅の責め近づきしかば、所は修羅道となり、男子は厨者の魚をほふるがごとし。炎に入り、水に入りしなり。今、日本国もまたかくのごとし。彼の六人が僻見によって、今生には守護の善神に放されて三災七難の国となり、後生には一業所感の衆生なれば、阿鼻大城の炎に入るべし。法華経の第五の巻に末代の法華経の強敵を仏記し置き給えるは「六通の羅漢のごとくならん」と云々。上の六人は尊貴なること、六通を現ずる羅漢のごとし。しかるに、浄蓮上人の親父は、彼らの人々の御檀那なり。仏教実ならば、無間大城疑いなし。
 また、君の心を演ぶるは臣、親の苦をやすむるは子なり。目犍尊者は悲母の餓鬼の苦を救い、浄蔵・浄眼は慈父の邪見を翻し給いき。父母の遺体は子の色心なり。浄蓮上人の法華経を持ち給う御功徳は慈父の御力なり。提婆達多は阿鼻地獄に堕ちしかども、天王如来の記を送り給いき。彼は、仏と提婆とは同姓一家なる故なり。これはまた慈父なり、子息なり。浄蓮上人の持つところの法華経、いかでか彼の故聖霊の功徳とならざるべき。事多しと申せども、止め畢わんぬ。三反人によませてきこしめせ。恐々謹言。
  六月二十七日    日蓮 花押
  返す返す、するがの人々、みな同じ御心と申させ給い候え。