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女人は澄める水のごとし。釈迦仏の月、宿らせ給う。譬えば、女人の懐み始めたるには吾が身には覚えねども、月漸く重なり日もしばしば過ぐれば、初めにはさかと疑い、後には一定と思う。心ある女人は、おのこご・おんなをも知るなり。法華経の法門も、またかくのごとし。南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給う。始めはしらねども、漸く月重なれば、心の仏夢に見え、悦ばしき心漸く出来し候べし。法門多しといえども、止め候。
法華経は、初めは信ずるようなれども、後遂ぐることかたし。譬えば、水の風にうごき、花の色の露に移るがごとし。何として今までは持たせ給うぞ。これひとえに、前生の功力の上、釈迦仏の護り給うか。たのもしし、たのもしし。委しくは甲斐殿申すべし。
九月一日 日蓮 花押
松野殿女房御返事
(383)
浄蔵浄眼御消息
建治・弘安期 松野殿夫妻
きごめの俵一つ・瓜籠一つ・根芋、品々の物給び候い畢わんぬ。
楽徳と名付けける長者に身を入れて、我が身も妻も子も、夜も昼も責め遣われける者が、余りに責
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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