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として命をたもつ。伯夷は首陽山にすみし、蕨をおりて身をたすく。父母にあらざれば誰か問うべき。三宝の御助けにあらずんば、いかでか一日片時も持つべき。いまだ見参にも入らず候人の、かように度々御おとずれのはんべるは、いかなることにや、あやしくこそ候え。法華経の第四の巻には、釈迦仏、凡夫の身にいりかわらせ給いて、法華経の行者をば供養すべきよしを説かれて候。釈迦仏の御身に入らせ給い候か。また過去の善根のもよおしか。竜女と申す女人は、法華経にて仏に成りて候えば、末代にこの経を持ちまいらせん女人をまぼらせ給うべきよし誓わせ給いし。その御ゆかりにて候か。貴し、貴し。
弘安二年己卯三月二十六日 日蓮 花押
松野殿後家尼御前御返事
(380)
松野殿女房御返事(月中の兎の事)
弘安2年(ʼ79)6月20日 58歳 松野殿女房
麦一箱・いえのいも一籠・うり一籠等、かたがたの物、六月三日に給び候いしを、今まで御返事申し候わざりしこと、恐れ入って候。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(379)松野殿後家尼御前御返事 | 弘安2年(’79)3月26日 | 58歳 | 松野殿後家尼 |
(380)松野殿女房御返事(月中の兎の事) | 弘安2年(’79)6月20日 | 58歳 | 松野殿女房 |