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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 我が朝七百余年の間、この法華経弘まらせ給いて、あるいは読む人、あるいは説く人、あるいは供養せる人、あるいは持つ人、稲麻竹葦よりも多し。しかれども、いまだ阿弥陀の名号を唱うるがごとく、南無妙法蓮華経とすすむる人もなく、唱うる人もなし。一切の経、一切の仏の名号を唱うるは、凡木にあうがごとし。いまだ栴檀ならざれば腹をひやさず、日天ならざれば甲をもあたためず。ただ目をこやし心を悦ばしめて、実なし。花さいて菓なく、言のみ有ってしわざなし。
 ただ日蓮一人ばかり日本国に始めてこれを唱えまいらすること、去ぬる建長五年の夏のころより今に二十余年の間、昼夜朝暮に南無妙法蓮華経とこれを唱うることは一人なり。念仏申す人は千万なり。予は無縁の者なり。念仏の方人は有縁なり、高貴なり。しかれども、師子の声には一切の獣、声を失う。虎の影には犬恐る。日天東に出でぬれば、万星の光は跡形もなし。法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども、南無妙法蓮華経の声出来しては、師子と犬と、日輪と星との光くらべのごとし。譬えば、鷹と雉とのひとしからざるがごとし。
 故に、四衆とりどりにそねみ、上下同じくにくむ。讒人、国に充満して、奸人、土に多し。故に、劣を取って勝をにくむ。譬えば、犬は勝れたり師子をば劣れり、星をば勝れ日輪をば劣るとそしるがごとし。しかるあいだ、邪見の悪名世上に流布し、ややもすれば讒訴し、あるいは罵詈せられ、あるいは刀杖の難をかぶる。あるいは度々流罪にあたる。五の巻の経文にすこしもたがわず。されば、なんだ左右の眼にうかび、悦び一身にあまれり。
 ここに、衣は身をかくしがたく、食は命をささえがたし。例せば、蘇武が胡国にありしに、雪を食